吹く風に想うこと」カテゴリーアーカイブ

富良野編*6

今の時期、北海道のスキー場はどこもスキー・ボーダー客で賑わっていることでしょう。

私が子供の頃は、富良野スキー場~ではなく

北の峰スキー場という名称でした。

確か、民間会社(国土)に買い取られて大規模に開発された(フラノスキー場に)と記憶してます。

その後ワールド・カップ大会が開かれたんですよね。
知り合いが(父の職場)旗門員(スキー協会)だったので、優勝者のサイン入りジャケットを頂きました
でも、優勝者が誰だったか・・覚えていません(^^;)

いやあ・・実は初めて大会に出たのは小学一年生の時でした。
ここ、北の峰スキー場です。
入賞記念メダルを頂きました(^^)/

ただねえ、指導してくれたのが父でしたので・・
ちょっと厳しいと言うか・・リフト(当時は一人乗りだった・ゴンドラなんてもちろんなし)に
乗る前に、スキーを担いで登らされるのが・・つらかったです(–;)
足・腰は鍛えられましたが。
小学校5年生の時(富良野を離れる年)出た大会では、一緒に練習していた友達が2位でした。
銀メダルが眩しかったです~(–+)
残念ながら5位までに入賞できなくて、期待してくださった周りの方には申し訳なく思いました。

だからかなあ、なんとなく~大会のレベルは大違いだけど~
オリンピック選手が気の毒に思えてしまうんですよね。

富良野編*5

富良野市民だった頃、4箇所に住みました。

駅近くの国鉄官舎。緑町の官舎。市郊外・島ノ下(現ハイランドフラノ近し)官舎。
父が当時、国鉄職員だったので。
街中の家は祖父母の家になります。

子供の頃、祖父は畑作農家をしていて、ブドウ畑とイチゴ畑のビニールハウスがありました。
収穫した小豆をビニール袋に入れて、ローソクの火で炙り糊付けの手伝いをしました。

父方は新潟県から、母方は青森県からの入植になります。
(ちなみに夫の母方は広島県、義父は栃木県からです。)

私は開拓3代目!?になる訳ですが・・
う~ん、なんにもしていないなあ。

多分当時は子供が沢山いたのでしょう。
市の郊外に扇山小学校が出来まして、木造ではなく鉄筋コンクリートでした。
小5まで通いましたが、プールが2つあり、夏休みに泳ぎました。

市内には富良野小学校があり、こちらは歴史が古いです。
校庭には北海道中心地の碑がありました。
冬はここの校庭がスケートリンクになり、冬休みはよく滑りに行きましたねえ。

家へ帰る途中にくじを引けるお店があって、時々立ち寄ったのを覚えています。
色とりどりのお菓子にガラスケースの蓋がしてあり、gあたりで売っていました。
ちょっと、ちびまるこちゃん的世界に似ていますかね。

富良野編*4

旅が好きです。
若いときにリュックを背負って(デイパックより大きめ)
時刻表(JTB)を片手に旅行しました。
多分、今に言う*鉄子ちゃん*みたいな・・。

思い起こせば、5歳児の頃。
富良野市内にある、カトリック幼稚園に通っていました。

園長先生はドイツ人でワーゲンを運転してました。
園から遠い園児を車で迎えに来てくれていました。
私は当時、駅から2キロ近く離れた緑町(扇山小学校近く)に住んでいて、
近所の園児達と園長先生の車で通っていました。

ある日、私は北の峰方面(現フラノスキー場)の友達と一緒に乗車してしまったのです。
園長先生は、遊びに行くのだろうと思ったらしく
私を北の峰地区の子供達と一緒に下車させて帰ってしまいました。
友達も『じゃあ、バイバイ。』と散って行ってしまったのです。

さて、困りました。
で、そこは見晴らしの良い場所だったので(なにせ山ですからね)
富良野市内を見渡してから、歩いて家まで帰りましたよ。
5勸未呂△辰燭里任蓮ΑΔ隼廚Δ鵑任垢。
かなり時間が掛かって、帰宅すると母が驚いていたのを覚えています。
『よく歩いて帰って来れたねえ!!』と。

イタドリの葉っぱが緑色だったので、夏だったのでしょう。

これは、旅人への第一歩だったのではないかと本気で思っています(笑)